これまでの苦行は、この日のため。
ついに日本最北端駅に足を踏み入れる日がやってきた。
札幌(6:00)~旭川(8:54)
昨晩眠りに就いたのは、およそ深夜1時だろうか。もはや昨晩ではない。
それでも、5日目最初に乗るは、札幌発旭川行き、朝6時の便。
起きたのは朝5時前。もはや仮眠である。
しかし、アドレナリンが体中をめぐっているからか、不思議とそれほど眠くはない。「最北端」に行けるのだ。「最○端」というワードは、旅人にとって、良くも悪くも悪魔の言葉なのかもしれない。
それでは旭川へ。鈍行で約3時間、ヨーイ、スタート。
3月とはいえ、ここは北国。空はすっかり明るんでいる。
調べると、札幌と旭川は約130キロほど離れているらしい。130キロて。サイクリングで1日で走ったら満足、って距離ではないか。
運賃は2860円。ここだけで、18きっぷのモトが取れる。
…さすがに乗車後は寝てしまう。
西の人間にとって、ずっと雪に囲まれている情景はとても新鮮ではあるが、なにか、人が足を踏み入れてはいけない場所のような、不思議な畏れを感じる。
ここ2日間、鳥肌が立ちっぱなしであった。
そういえば、旭川への道中、滝川駅という駅がある。ここから分岐して東に行けば、ラベンダー園で有名な富良野に着くことができる。
中学生のころ、家族旅行で富良野に行った。中二病だった僕は旅行中も両親に反抗的(当時はそれがかっこいいと思っていた。今思えば甚だ恥ずかしい)で、もう少し素直に旅行を楽しめばよかったのに、と後悔。これからは親孝行する側である、という自覚を持たねばね。
昨年夏の北海道一周旅でも、富良野に立ち入ることはスケジュール的に出来なかった。今回も同様。
次行けるのは、いつになるだろうか。
そんなことを思っていると、旭川到着のチャイムが鳴り響いた。
「たぬきそば」事件、勃発
朝9時に旭川に着いたはいいものの、次の名寄行き列車の発車時刻はなんと11時半。これまた2時間強の足止めをくらうことになる。
ただ旭川駅は駅自体の施設が新しく、充実している。昨日の長万部駅みたく、待合時間に困ることはなさそうだ。
とりあえず小腹がすいたので、駅ナカの駅そばへ。
ここでは「たぬきそば」を注文。油揚げが入ったそばをイメージして。
しかし、出されたのは天かすだけが乗ったおそば。「えっ?」と思わず声が出て、店員さんに事情を説明…ところが「たぬきは天かすが乗ったものを指しますけど…」との反論。
どうやら、関東ではメニュー名の冠に「きつね」とつくのが、油揚げが乗ったもの。「たぬき」とつくのが、天かすが乗ったものらしい。
逆に関西では、関東でいう「たぬき」何がしというメニューは一般的ではないらしく、強いて言えば「はいから」何がしというのが通例だそう。油揚げが乗ったものは「きつね」何がしに統一されている、というハナシである。
いやいや、これはぶったまげた。お互いの認識が、土地の習慣によって違うという体験を初めてしたかもしれない。これだから旅は面白い。
とはいえ、せっかくなので、追加で油揚げを乗せてもらった。
さしずめ「きつねたぬきそば」であろうか。なんとも欲張りな駅そばと相成った。
旭川(11:30)→名寄(12:52)
この日は天気がすこぶるよく、駅前でのお散歩も捗る。暇なので周辺をぶらり。
景色の美しさを堪能するとともに、「遠いところまで来たな」「今日で終わるのか」と寂しさも感じる。
進むしかない。
乗車前、コンビニでサックラ(サッポロクラシック)の富良野限定品を購入。
イラストの通りホップが多めに含まれているからか、通常のサックラより香りが強い気がする?(プラシーボだったらごめん)
旭川から名寄までは2時間もない。すぐである。
名寄という街は、どういった街なのだろうか。
名寄(なよろ)という街名は、「ナイ・オロ・プト(川の入り口)」というアイヌ語の当て字からなる。近くに天塩川の支流・名寄川があるからだ。
街として開かれたのは1900年と、北海道開墾開始からしばらく経ったころらしい。
当時、開墾の障害となった名寄の密林は、木材の宝庫として以後街の重要な収入源となったそう。ここで取られたエゾマツは、海外にも輸出されたそうだ。
現在、名寄市の名物は「もち米」らしい。70年代からもち米の生産を開始、現在は日本一のもち米生産地として全国に名を轟かせている。
コンビニで手軽に買える赤飯おにぎり。コンビニおにぎりの中では個人的に一番好き。それにも名寄産のもち米が多く使われているというから、今後は見る目が少し変わるな。
名寄(14:55)→音威子府→稚内(19:51)
いよいよ、今回の旅で最後の列車に乗る。
インダストリアルな雰囲気醸す無骨なシルバーを基調とし、赤いラインが特徴的な、国鉄キハ54形気動車である。
この列車は座席が面白い。
なんと対面ぼボックスシートで、テーブルまである。さながら特急列車仕様。座席はリクライニング付きで、膝受けには座席角度を変えるツマミがちょこんと。これは、今はなき0系新幹線の撤去品を譲り受けたからだそう。
名寄~稚内は約180キロほど離れ、鈍行なら約5時間掛かる。なかなかの長距離移動ではあるが、この座席なら少しばかりの安心感を得ることができる。
実はリサーチしていなかったことなのだが、今年3月13日には宗谷本線の12駅が、廃止されることになっていたようだ。
幸い、今回乗車した日は13日以前であったから、このルポを書いている現在はもう停車することのない、もう風化して消えてしまうかもしれない駅を、余すことなく見ることができたといえる。
これは本当に価値のある体験だったのではないかと、強く思う。
16時ごろ、音威子府(オトイネップ)駅に到着。ここで1時間ほど停車することになる。ちゃんと時間までに戻らないと置いてきぼりだから、近くを散策。
ログハウス調の音威子府駅は、外見だけではなく内装も素晴らしいものだった。
駅の中には、いくつか展示場がある。
国鉄時代の遺産だろうか、年季の入った数々。数日でもいいから、当時にタイムリープしたいものだ。
かつての路線図。
こうして見ると、多くの路線が廃止されていったことが分かる。なかには建造が予定されていた路線も。寂しい。北海道は人間にとって広すぎたのだろうか。
また、小さいながらもギャラリーがあった。
「密蕾花(ミライカ)」というネームで活動する、オトイネップ出身の女子高生2人らしい。
いいなあ、高校生。戻りたいとは思わないけど、いい日々だった。
音威子府駅ギャラリーにて、高校生作品展「密蕾花」開催!新しく出来たギャラリースペースを会場に、高校生らによる作品展「密蕾花 ミライカ~小さな村で出会った二人の高校生~」が開催されます!2021年3月1日~7日 https://t.co/rewr4V12xA #音威子府 #おといねっぷ美術工芸高校 pic.twitter.com/HQizUjVGLK
— 音威子府村/nociw* (@otoineppu_nociw) February 28, 2021
むむっ。
そうこうしているうちに、すぐ定刻となった。さあ、行こう。
とはいえ、ここから3時間は天塩川沿いの、うっそうとした森の中をズンドコ歩む。
景色もそう変わるわけではない。ていうか、鉄道旅で見る車窓なんて8割くらい同じようなもんだ。
でもなぜ今も、これからも、鉄道を使った旅を好きでいるんだろう。死ぬまでにその理由が分かってもいいし、分からなくても良い。
夕方、夜間はエゾジカの妨害に悩まされた。
シカは鉄分を自分で生成できないために、線路をなめることで補給する習性があるとか。エゾジカを発見するたびに、鉄道は減速し、大きな汽笛をうならせる。
そしてほぼ定刻通り、稚内に到着。
ついにJRによる日本縦断を成し遂げた。
ウイニング・ロード
思わずホームで、ガッツポーズ。1日目は暑さにやられ、2日目3日目からは腰が痛くなり、4日目からは異質の寒さに耐え忍んだ。
ウイニングロードのように並ぶ、「〇〇駅より〇〇km」との看板。
本当に、遠いところまで来てしまった。
この感動は、5日間ずっと鈍行に乗り続ける、酔狂という言葉では説明しきれないバカを成し遂げた者にしか分かるまい。
満たされた。ああ、満たされた。
我が学生生活に一片の悔い無し…
6日目に続く。