カプセルホテルに日は射さない。
本日は釣りはせず、沖縄の戦争の歴史の跡をめぐることにした。
今はなき…首里城
那覇市は意外に、というと失礼かもしれないが、かなり都会である印象を受けた。特に旭橋付近にはバスターミナルがあり、ホテルもあり、太い幹線道路もあり…以前住んでいた神戸や広島などと近しいものを感じた。
ていうか、11月ともいうのに暑いこと。沖縄とはいえどさすがに長袖は必要かな…と持ってきたウィンドブレーカーは杞憂にその役目を終えた。
半袖でも暑いくらい。しかしそれでいて夏の湿気はないので、ときたま風が吹けばことに気持ちがいい。
あれ…もうここでいいのでは?(何が?)
夜に戻るバスターミナルに荷物を置き、身軽になったところで首里駅へ。
久しぶりに会う友人が待っていてくれた。
首里城はずっと行ってみたかった。
というのも、「最も残酷なCoD」としてしられるCoD WaWで、首里城が日本軍の”最後の砦”として登場するのだ!
プレイヤーキャラのアメリカ兵は、日本軍の猛烈な抵抗に耐えつつ、座標を友軍に伝える。その後、首里城はあえなく爆撃されてしまった。
ゲームとは思えないリアリティと緊迫感。作品としてこれほど感動したものはない。
最近CoDでWW2ものが発売されたが、画質こそ格段に良くなったのになぜこうも差がついてしまうのだろう…
駅からは意外と距離があるが、それほどしんどいものではない。10分程度で到着した。
そうそう、この旅では総じて修学旅行客に多く遭った。今年の夏の感染状況はまさに絶望的だったが、なんとか最近落ち着き始めたことで日常が戻ってきたのであろうか。
首里城は今や「跡地」である。放火事件から数年たった今も、再建の目処は経っていないそう。文化財の保管というのは実に難しい…
CoD WaWでも登場した首里城。
実際、ここの地下には旧日本軍の司令部壕があったらしい。
硫黄島戦などの経験から、本州への上陸を少しでも遅らせようと考案された地下壕での持久戦。
玉砕禁止令なども相まって、ある意味戦闘の効率化が図られたわけだが、持久戦というのは人間を極限まで疲弊させる。
当時の人々は、何を思って我慢を貫いたのだろうか。
今もなお残る旧海軍司令壕
那覇市を南下し、旧海軍司令壕へと向かった。
1階は少しこじんまりとした資料館。木の棒に銃剣がくくりつけられた、簡素な槍がほかんされていた。
資料によると、武器弾薬が不足していたころに兵士が”あるもの”だけでこしらえたものだそうだが、これをもって機関銃の前に飛び出る勇気が今の日本人にあるだろうか。
そして、メインとなる地下壕へと下る。
階段は予想以上に長く、下るほどにぐっと涼しさを感じる。
そして、このようにかなり広い。まるで蟻の巣だ。
しかしそれぞれの室はかなり狭く、当時は道中も兵士でごった返していたという。改めて、すごい環境だ…
壁に無数の小さな穴がある部屋があったが、資料によると手榴弾で自決した跡だという。
外に出れば、11月ともいうのに、まるで夏の光景が広がっていた。
沖縄そばは個人的に…
ちょうどお昼時だったので、「えびす食堂」でランチ。
友人によると、沖縄はビビッドな色合いのお店が多いようだが、ここも前評判に負けぬ派手っぷりだった。
自分が頼んだのはチキン南蛮。
出てきたのがコレ。
友人によると、沖縄では味噌汁的なポジションで沖縄そばが出てくるらしい。コレ単品でもお腹いっぱいになりそうだけど…
久々にカロリーマックスな定食にテンションが上がる(デブ)
肝心の沖縄そば。どん兵衛のような縮れ麺だが、これがまた二郎本店っぽくて美味しい。
スープも優しい味わいで、チャーシューもホロホロ。なんだかハマりそう…
チキンも、美味しくいただきました。
ここからはバス移動。なぜレンタカー借りなかったのかは、謎…
犠牲になる市民
次なる目的地は「ひめゆりの塔」。
名前は有名だが、その内容までは知らなかったので、いつか行きたいと思っていた。
偶然にも、資料館は最近リニューアルしたばかりだそう。どうりでキレイなわけだ…
その実態は、沖縄県内でも受験をして入るような選抜女子校で、それは賢い女学生が集まったそう。
戦争が始まり、沖縄に米軍が接近した頃に、兵士の看護や炊き出し、伝令など軍の手助けをすることになった、という話だった。
特に沖縄戦末期のエピソードが強烈で、水をとってくると壕の外にいった友人が帰ってこない、味方であるはずの日本兵にスパイだと乱暴された、海を米軍艦隊が覆い尽くすなか、砂浜で米兵に追いかけられたなど…
まさに、総力戦における犠牲となった市民のあらわれだった。
二度とあってはいけない。
沖縄の歴史を1日かけて勉強したところで、翌日仕事な友人とはお別れ。
明日からはついに沖縄でのライトルアーフィッシングと洒落込みます。