ユウのよしなしごと

アウトドアで生活を豊かに。

耕運機の功罪

お盆休みを使って、友人と北海道へ旅をした。
運転ができる者同士だったので、レンタカーを利用した気楽なドライブ・トリップ。
空港から目的地へ向かう道中には、今年にオープンしたエスコンフィールドがあり、立ち寄ることにした。

 

エスコンフィールドは球場はもちろんのこと、レストランや温泉、宿泊施設など、多種多様な商業施設が立ち並ぶボールパークとのことで、訪れたのは試合の行われていないお昼時であったものの楽しく過ごせた。

 

園内を散策していると、耕運機メーカーKubotaの博物館があり、時間にも余裕があったので立ち寄ることにした。
入館料は100円ながら、複数人のインストラクターの解説付きでツアーを行ってくれる。現代の農業が抱える問題を提起しながら、Kubotaなりの解決策を提示してくれる、とても興味深いものであった。
しかし、その内容にはいささか引っ掛かる点もあった。

 

そのひとつが、具体的な数値は控えるが、現代の農家数の減少により、1人あたり数百ヘクタールもの広大な土地を面倒見なければならないということ。
この説明には、マイナスのニュアンスを受けた。
ただ、このような現状となったのは、耕運機や化学肥料の誕生など、ここ数十年での農作業の効率化によるものではないか。

 

『釣りキチ三平』で知られる矢口高雄先生の自伝『おらが村』を、Kindleで呼んだことがある。
元来、農作業は大人はもちろん、小学校に行くような子供まで手伝わなければならないほど、手間の多い仕事であった。それは作業が機械化されていないからで、すべて人力、人海戦術のなせる技であったからである。
明治時代、学制の誕生を農家が嫌った(労働力のあてである子供が日中にいなくなるため)ことも、これに通づるだろう。
また、だからこそ、子供が必要であり、子供が必要であるということは嫁が必要でありと、農作業こそが村に人を留める・寄せる理由であったのではないだろうか。

 

ただ、耕運機にはじまる農作業の効率化により、これまでよりも1人ができる作業が増えた。
それはつまり仕事を失った人が増えたということで、家の後継ぎである長男以外は「金の卵」として、中学校卒業後は汽車に乗せられ都会で不足した工場の労働力となった。彼ら彼女らは、もう田舎に帰ることはない。
同作では、これが昨今に続く地方過疎化の根本たる原因と謳っている。
嗚呼、国策とはなんと物悲しいのだろう。


『ドラゴン桜』で知られる三田紀房先生の『エンゼルバンク』では、農業を使った日本支配が裏のテーマ。そこでもやはり、大企業による広大な土地の一括管理でしか、農業でコストメリットを出すのは難しいという。
農業の効率化は、悪ではない。いかにその延長線上で、我が国の農業を継続するかを考えるしかないのかと思う。