最近はストゼロを飲みながらのほうが、タイプが進むことに気付きました、寿命縮める系ブロガーになりつつある…
もう年の暮れに差し掛かってきました。去年の今頃は、世の中が今のようになっているとは知る由もなくノウノウと生きていた気がします。しまなみ海道へサイクリングも行ってたしね。
そのとき、友人と話した内容がパッと思い出されたので、そのことでも書こうかなと。
- “プラットフォームの餌食”
- 個人が情報発信するにはプラットフォームが必要なので
- 何もせずともプレイヤーたちがコンテンツを拡充してくれる
- お金を稼ぐことは、誰かの利を実現すること
- 「他人に『助けてあげたい』と思わせる人」がどの時代でも強い!
- 人の母性本能をくすぐるチカラ
“プラットフォームの餌食”
サイクリング中は友人と駄弁る最高の時間です。そこまで負荷のない時速25~30kmくらいでしゃべりながら走るのが一番楽しい(もちろん車通りの多いところはムリですが)。話す内容はオトコノコな話題なので書けませんw
そのとき一緒に走っていた友人(かなりのツイ廃)と話していると、ふとしたときにパッと"プラットフォームの餌食"という造語が思いついて、何の気なしに口にすると、その友人は深く納得していたように思います。マジで思いつきだったので、当時はその反応が意外でしたが(笑)
とはいえ、この「プラットフォームの餌食」という言葉。手前味噌ですが、結構的を得ているのではないかと思います。
プラットフォームは、もともと鉄道などの「駅」を指すコトバですが、デジタル社会化した現在、「コンテンツ提供の“場”」としての意味合いを持つようになりました。
「プラットフォーム・キング」という言葉をどこか(TikTokの社長のインタビューだったか?)で見た記憶がありますが、現代はプラットフォームを持つ「プラットフォーマー」なる立場が、ものすごく有利になるよう設計されています。
個人が情報発信するにはプラットフォームが必要なので
それはなぜか。この回答は、個人で情報を発信できるインターネットが発達した現代だから、と言えます。
個人で情報を発信するにしても、その方法はどうすればいいでしょうか。街中で大声で叫ぶか?友達伝いにイチイチ話して伝えるか?
いやいや、ネットを使いますよね。
そこでネットを使うにしても、最初から自分でHTMLやCSS勉強して個人LPを作るか?
いやいや、YouTubeやTwitter・FacebookにInstagramなど、初めから多くのユーザーがいる人気のプラットフォームを使った方が、遥かに効率が良いですよね。自分でサイトを作るにしても、こういったSNSを併用した方がいい(実際は、SNSからのアクセスは数パーセント程度と少ないにしても)。
…という流れになります。個人で情報を発信できるとて、発信の場がなければどうしようもないのです。
何もせずともプレイヤーたちがコンテンツを拡充してくれる
逆に、プラットフォーマーたちの視点から見れば、人気のあるプラットフォームさえ持てば、あとは(いろいろな保守作業などは必要かと思いますが)何もせずとも、情報を発信したいユーザーたちが、勝手にプラットフォーム内のコンテンツを拡充・発展させてくれます。なんと楽な商売でしょうか。
YouTuber・TikToker・インスタグラマー・ブロガーと、さまざまなカッコイイ名前がありますが…これらは自らプラットフォーム内のコンテンツ拡充に勤しみ、プラットフォーマーさまに“ショバ代”(ピンハネされる広告収益など)を払っている者たちでもあります。
なんだかめちゃくちゃ嫌な言い方になっていますが、僕自身もはてなブログ、もといメインの検索エンジンであるGoogleのコンテンツ拡充に連日勤しみ、ピンハネされわずかに残った広告料をありがたく頂く、悲しき“プラットフォームの餌食”なのであります。(;´д`)トホホ
お金を稼ぐことは、誰かの利を実現すること
何が言いたいかというと、最近よくある「サラリーマン卑下論」「フリーランス・YouTuber至高論」みたいなのに、ちょっと反論をしたかった感じです。
雇われ先が企業か、(間接的に)グーグルか、なだけで、大した差はないと思います。
結局、お金を稼ぐというのは、誰かしらの得になることを行動によって成し遂げることだと思うのです。芸人やエンタメ系YouTuberなどなら「人を笑わす」、真面目系YouTuberや解説系ブロガーなどなら「人の知らない知識や経験を授ける」。庶民からは嫌われがちな投資家だって「必要な人に資金を渡す」という大切な仕事をやっていると思います。
「社畜たちが毎朝早く出勤して低い賃金で働いているけど、俺は“起きたときが朝”だし自由に好きなことして稼げるぜ!!」なんてつまらんマウントをとっている、謙虚さを忘れた人は、いつか没落していくと思います。盛者必衰。
「他人に『助けてあげたい』と思わせる人」がどの時代でも強い!
で、話は変わりますが。
僕がいま“最強”だなって思うのは、YouTuberでも投資家でもなく(これは職業の話なんで厳密にはカテゴリ違いですが)、他人に「助けてあげたい」と思わせる人、だと思うのです!
ひとり、そのような友人がいて…彼はさまざまな経験の持ち主です。
①サイクリングで土砂降りの中山越えをしていたところ、パンクした。パンク修理キットもなく、どうしようもない。
そこで、比較的人通りの多い場所で頭を下げヒッチハイクを依頼し、なんとか了承を得る。びしょ濡れのまま、自転車と共に車に乗せてもらい、目的地に着くことができた。
②山の中をサイクリングしているなか、到着地に晩御飯を食べられるような飲食店がないことに気付く。途方に暮れ立ち止まっていたところ、道中に住む初対面の老女に遭遇。なぜか晩御飯をお上がりしていただく展開となる。
ほかにもいろいろとエピソードはあるかと思いますが、特に印象的なのはこの2コ。
もちろん、本人(友人)の懇願によるものもあるかと思いますが、それよりも「なんだかこの人は助けてあげたい」と思わせるチカラがあるのではないかと、数年間付き合ってきて思うようになりました。
その理由はハッキリとは分からないのですが…ちょっと抜けていそうな感じがそう思わせるのかも。
バッチバチの美人、だけど「別に…」とか言っちゃう「沢尻エリカ」タイプより、少しドジだけど素直で可愛げのある「能年玲奈」タイプのが国民的な人気を得る、みたいな感じでしょうか。
人の母性本能をくすぐるチカラ
極論言えば「他人に「助けてあげたい」と思わせる人」であれば、ホームレスでも食っていけるかもしれません。
プラットフォーム上で活躍するにしても、この特性を持っていれば「スキップせずに再生して、この人にもっと広告料が入るようにしたい」「もっとスパチャしてあげたい」「どうせ同じものを買うなら、この人のブログに貼られているアフィリエイトリンクを経由して買いたい」など、いろんな“いいこと”がある気がします。というか、有名なインフルエンサーたちはみんなこの特性を持っているのかも。
反対に、「自分で何でもできるけど?」「フン!」みたいな、ふてこい態度を日常的に取っているようでは…幸運の女神から見放されてしまうのかも。注意したいですね。
何にしても、人の母性本能をくすぐるチカラを持つ人が羨ましいです。
おしまい