YouTubeで心温まるムービーを観た。その動画の内容が過去の経験とデジャブしたので、備忘録的に書き残してみる。
- 足が外れなくなった仔馬を救い出したい母馬。それを見かけたヒトは…
- 手塚治虫『ころすけの橋』
- 木橋に片足を取られ、動けなくなった仔カモシカ
- 和解する少年とキヨモリ
- 突如始まるカモシカの虐殺
- 生き残った仔カモシカに「ころすけ」を重ねる
- 手塚治虫との出会い
足が外れなくなった仔馬を救い出したい母馬。それを見かけたヒトは…
その動画は「仔馬を助けようと必死の母馬。通りすがりの男性が母子のピンチを救う」というタイトルで、再生回数も200万回超え。
僕のアカウントにレコメンド動画として登場した。
サムネイルには、木橋に片足を突っ込み、もがく仔馬を見つめる母馬が見受けられる。仔馬は足腰が未発達というので、抜こうにもうまく力が入らないのだろう
母馬はどうにかして助けたいのだろうが、人間のように手を自在に使えるわけではないため、ただ見つめることしかできない。本当に不憫だ。
もちろん、この動画がネット上にアップされているということは、ヒトがこの光景を撮影しているということだ。まさか仲間のウマが「仔馬が橋に足突っ込んだまま抜けなくなってて草」みたいなセンスないキャプションを付けてYouTubeに投稿したわけではない。
撮影者の男はこの親子ウマが野生で、警戒心も相応にあることを鑑み、できるだけゆっくり、じわじわと仔馬に近付く。手が届くまで近づいたところで、仔馬の首を一瞬だけ掴んで抜く。
幸いそれほど突っかかっているわけではなく、足はすぐに抜けた。しかし仔馬は自力で立つこともできない状態(ヒトを怖がって腰が抜けた?)で、男は「やれやれ」と、仔馬を抱きかかえて橋の向こうまで運んであげた。
母馬は男が仔馬に危害を加える存在ではないと理解していたようで、礼を言うかのように去る男にいつまでも顔を向けているのであった。
手塚治虫『ころすけの橋』
なんて爽やかでハートフルな動画だろう。YouTubeはこんな動画だけでいいよマジで。
…ところで、この動画の内容は、僕が昔読んだ手塚治虫のある作品と酷似しているのでご紹介したい。
『ころすけの橋』というものだ。
木橋に片足を取られ、動けなくなった仔カモシカ
日本には「ニホンカモシカ」というシカが生息する。
カモシカは特別天然記念物に指定されているため、特別な許可なく殺してはいけない。
この物語は1人の少年と「キヨモリ」と名付けられたカモシカのボス、そして少年に「ころすけ」と名付けられた仔カモシカが登場する。
少年はとにかくキヨモリが嫌いであった。
キヨモリが少年と一定の距離を保ち、「人をケイベツしきったようなツラ」でこちらを見つめてくるからである(おそらく、人間たちが何らかの理由で自分たちを攻撃しないようにしていると、キヨモリは理解していたからである)。
それに少年の一家の生業は林業や椎茸の栽培で、貧しさから喧嘩の末、母親と離縁。
少年は父との二人暮らしをしつつ、寂しい、やりきれない思いを抱いていた。
ある日、少年はキヨモリ率いるカモシカの集団が村の木橋を渡るのを見ていた。
そこで突然、群列の進行が止まる。生まれたばかりの仔カモシカが木橋の隙間に片足を挟んでしまい、身動きが取れなくなってしまったのだ。
キヨモリら大人カモシカは、ツノを木橋に突っ込むなどして懸命に助けようとするが、叶わず。断腸の思いで、仕方なく仔カモシカを置いていくことにした。
群れが去ったあと、少年は仔カモシカに接近する。キヨモリが気に食わないだけでカモシカに敵意を持たない少年は、仔カモシカを助けようとするも、「丸木を削らなきゃ取れない」「そんなことしたら村長にどやされる」と断念。それでも少年は憐れに思い、仔カモシカに毎日エサを運んであげたり、フン掃除をしてあげたりと、身の回りの世話を買うことを決める。
「コロコロふとる(元気に大きくなる)」ことを願って、「ころすけ」と名付けたのもこのタイミングである。
(ここで、「村長に丸太を削るよう頼んだらOKじゃないか」というツッコミが来そうだったので。うん、僕もそう思う。しかしそれだとこれからの話につながらないし、まあ僕は「村の予算的に橋の工事ができなかった」という説で納得することにした。)
和解する少年とキヨモリ
動けないころすけは、血に飢えた野生動物の格好のエサである。そのため少年は橋のふもとにテントを張っては見張りをし、ころすけの敵を追い払う。
しかし、さすがに少年の体力にも限界というものはある。少年がうたた寝をしている間、多数の野犬がころすけを囲む。
そこに現れたのがボスのキヨモリ。キヨモリも遠くからころすけの安全を見守っており、以後少年とキヨモリはころすけを架け橋に絆を育んでいく。
そしてころすけは名付けの願いの通りコロコロ太り、ツノが生えかけるほど大きくなっていった。
突如始まるカモシカの虐殺
しかし、村近辺でのカモシカによる食害がエスカレートする。
農耕を生業とする村民にとって、無許可で殺すことができないカモシカにやられ放題の状況は耐えかねる。
連日、村長の部屋に届く無数の被害届やカモシカ狩猟許可願。村民の圧に耐えかねた村長は政府に許可を願い、ついに公害としてカモシカ狩猟の許可を村民に伝えた。
山の中で響き渡る、猟銃の銃声。その音に耳を疑う少年。
続々と運ばれてくるカモシカたちの死体。そのなかにはあのキヨモリもいた。目の前の光景に絶望を覚えつつ、手塩にかけて育てたころすけの安否に心を乱し、木橋へ急ぐ。
死んでいた。
動けないころすけさえも、村民の怒りの対象となっていた。
村長や村民を「悪魔」とののしり泣き叫ぶ少年を見て、涙しない読者が何処にいようか。
生き残った仔カモシカに「ころすけ」を重ねる
その1週間後、母親が父と仲直りし、家に戻ってくると知らされ、沈んでいた心が少し湧きだつ少年。
それでも、キヨモリやころすけの喪失が回復するまではまだ時間がかかりそうだ。
少年はかの木橋へ、供花を持って向かう。
そこで見かけたのは、少年がころすけと初めて会ったときくらい小さな、小さな仔カモシカであった。全滅と思われたカモシカの群れに、生き残りがいたのだ。
思わず少年は「ころすけ!」と叫ぶが、その仔カモシカは森の中へと消えていった。
少年はその仔カモシカの安全を願いつつ、再会を願うのだった。
カモシカを保護するため、特別天然記念物に指定したのは人間。
食害に耐えかね、カモシカを殺したのも、人間なのである。
手塚治虫との出会い
僕の通っていた小学校のクラスには、先生や生徒が持ち寄ったクラス図書箱みたいなものがあった。
ふつう、小学校にマンガはない。あっても『かいけつゾロリ』だとか、『はだしのゲン』とか。国の検閲をクリアした、限定的なタイトルしかない。
そんな状況で、突如誰かが持ち寄ったのだろうか、この『手塚治虫名作集』が、クラス図書箱にラインナップされた。手塚治虫ならいいだろうという免罪符的なものがあったのかもしれない。
学校内での娯楽に飢えた小学生のことだから、そりゃ、取り合いである。僕もむさぼって読んだ。
中でも神奈川県で有害図書として指定された『アポロの歌』という手塚治虫の作品がすごく人気だったかな。性をテーマにした作品だったもんで。
それまで、手塚治虫といえば『鉄腕アトム』や『ブラック・ジャック』のイメージしかなかった。それも、子供が見てもショックを受けすぎない、かなりデフォルメされたアニメ作品しか見ていなかったので…手塚治虫が書いたオリジナル(漫画)を初めて見たときの衝撃たるや。
基本的に、手塚作品はバッドエンドである。安易な気持ちで読むと、気が沈む。
しかし今回の『ころすけの橋』で最後に仔カモシカが少年の前に現れたように、最後の、最後には一縷の希望を示してくれる。そこに、作品を読んだ者が今後何を考え、どう行動していくべきなのかを示してくれているような気もするのである。