ユウのよしなしごと

アウトドアで生活を豊かに。

それでも、人と話すべき理由

ネットでいくらでも情報を得ることができる現代。
情報を知っていること自体の価値はグッと下がって、情報を覚えたり、何かを知っている誰かと繋がったりすることはもはや無意味だと話すインフルエンサーも存在する。
私も、いくぶんかその考えを支持していた時期があった。

しかし、そんな現代でも、誰かと話をするべき理由はあると思うようになった。その理由を一言で表すなら、情報にアクセスできることと、情報に気付くことは似て非なるものであるからだ。

沖縄の居酒屋で地元客と話す中で知ることが出来た「ニーバンガジュマル」の話。エラーに悩む僕を気にかけた先輩エンジニアから送られてきた、ブログURL。どれも、適切なワードを検索バーに打ち込めば誰もがアクセスできるけれど…その情報に気付くことが、果たして自分の力だけで出来ただろうか?出来なかったと思う。

また、これは以前AIとはなにか?について学ぶために読んだ本「人工知能は人間を超えるか - ディープラーニングの先にあるもの」でも書かれていた内容だけれど、AIはどんなに頑張っても人間の雑談ができないとされているらしい。なぜなら、雑談という行動の目的が明確に表せないから。ワードをランダマイズに出力して雑談ぽくすることは可能だが、ある文脈に沿って出力することができないので、真の雑談とはいえない。

つまり、雑談・目的のない会話は人間の特権とも言えるのだ。それを、「調べれば出てくるから」と、生身の人間に面と向かわず画面に逃げるのは、人生を過ごす上でもったいないような気がしないだろうか?